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2005年6月13日 (月)

映画:電車男をみて感じた事!そしてオイラの宣言!

gw_117 gw_059 あぱーむ!!

めでぃーっく!!

マイルスでっス!!

映画『電車男』見てきました

電車男の流行に関しては、オイラもマスコミ&広告業界の端っこに身を置く者として注目してきました。

先日のアエラにおいて佐藤優氏も『プロの情報屋』としての観点で触れておられる。※佐藤氏の『国家の罠』は先日薦めたとおり名著だと思う

このことに関してはFARWESTさまがブログに於いて、非常に興味深い分析をされているので一読をお奨めする。FARWESTさんを尊敬できるのは『自分の言葉で表現している』からだ。論じているのと、ちと違うからだ。

オイラとしては、『電車男』に関して『表現をする』という行為の面から触れてみたいと考えている。但し、主観がほとんどとなる。だから前もって言うが学術的な論文にはならない。いわば直感だ。

しかし多くのプレゼンを通しているプランナー(えらそうっスねorz)として直観&勘には自信を持っていたりする。

まず、ヒットの背景に関して感じている事。それは『意外性』&『非商業的偶機が呼ぶ共感』という心理だと思う。

まず、理解が必要だと考えるのは『電車男』の商業的価値を支えているのが『書物』となった時点で『板の中の人々』から離れたという事だ。実際、オイラが『電車男』の映画を観たのは大阪梅田の映画館だったのだが、観客の多くは普通のカップルがほとんどであった。普通のカップルが2chを見ている可能性も高いとは思うが『毒男板』を見ていたとは考えづらい。

つまり『電車男』を『行動的に支えた人々』と『商業的に支えた人々』とは別物だとも言いかえられる。

この記事を書くにあたり、広告業界にいる男女計31人に『電車男を読んで面白かった点』をアンケートしたのだが、約6割が『ネット(特に2ch)の住人が応援する姿に感激した』と答えている。それは『恋愛・純愛に感激した』という答えが約45%なのに比べても多い答えだと言える。

※調査対象はオイラの知り合いばかりなので少しヒネクレタ人間が多いっす!まあ参考と考えてください。

とにかく、多くの人が感じた事の裏には『匿名性の高いネットメディアはマナーが悪い』という常識があるように感じている。その常識が覆された事、それが心地よさを感じる方向だった事により『心地よさが加速した』と考えられる。正式調査ではないが、これはヒット要因として無視出来ない心理の流れだと言えるだろう。

要するに本当のところはどうあれ、多くの人が『ネットも捨てたものではないな!』と感じた事、そして、『商業ベースではない!応援したくなる関係』と感じさせられたことによりヒットは生まれたと考えられる。

それが、背景である。

ここからが本題なのだが・・・

『表現をする』という事に関して特筆すべきは『板の人々が非常に知的だ』という点である。それは『電車男の知的レベルが高いから、同等の人たちの意見を引き出せた』とも言いかえられる。或いは『知的レベルの高さが、マナーを引き上げた』といってもイイ。

そして、それは『電車男が論ではなく表現をした』からだと考えている。

これにはかなり主観が入っている。

裏づけになるかな?まあ弱いな・・

前述のアンケートの代表的な意見では『冬ソナやセカチュウは嫌いだが、電車は好感がもてた』というものがある。深堀りして訊くと二つの理由に集約された。

①創作やない、遇機による話の成立は素直に受け入れられた。(これ情報論・情報操作論っスネ)

②人を不幸にする設定で『純愛』を語る事=知能レベルが低い発想。

 ネタであれ本当であれ『応援を引き出す』電車男の心理喚起は知能レベルが高い

ようするに、ネタにつられてもいいと思いながら高めあう姿は非常に知的だと、オイラは感じている。

そして、これこそが『今後のヒント』になると感じている。

今、ブログが大流行だ。オイラも流行りに乗っかった組だ。今までは、『個人が論ずる場』としてのポリシーを持ったブログが引っ張ってきていた。成立の起源を考えても『お奨めサイトへの付箋』→『それをナゼ奨めるのか?』→『あのブログの考えは信頼できる』という過程を通るのは自然である。まあ、『論ずる場』というのは元ソースがあり、関連意見も見つけやすいものだし、拡がる上では有利な方法とも思う。

しかし、しかしである。

これからは『表現をする場』『発表をする場』という要素が強くなると感じている。いわゆるたとえば『論』は荒らしを呼ぶが『表現』は荒らしとは別次元に存在する事も理由の一つである。また、上記『電車男』から学ぶならば『表現』は『『同等レベルの意見を選出できる』と言えるだろう。つまり、『論』は『レベルの違うモノ』をブツケラレレバ崩壊するが、『表現・創作・発表』などは『レベルが違えば交わらない』という事だ。

では、『論』と『表現』を分けるものはなにか?

それは『だから、私は○○する』という姿勢が入っているかいないかの差である。シンプルにたったそれだけの差である。

ナショナリズムを書いたとき、『この意見は共感できない』だけでは『論』であるが、『共感できないから、私が日本を良くする』といえば、これは『論』ではない。まあ、○○には良い事を入れない限り価値などないが・・・・。

この『私は○○する』という立場を明確にする事こそ必要な事だと思っている。その姿勢を個人個人が持つことこそ、匿名性に『責任』を付与する事だと思っている。そしてそれこそが本当の『知的』な交流をネットに与えるものだと思っている。

ブログだろうとミクシーだろうと、そんなメディアの差は些細なものだ。要するに『自分は書くことで、どのような事をするのか』だけだ。それだけが今の社会を変えれられるKEYだ。

今日のは、読み返しても酷い展開の文章だ・・・

論じていない・・・・論じる能力が弱いようだ・・・

でも、かまへんねん!!

今日の文章は、オイラの宣言の前菜だ!

オイラは論じない!

宣言する!

オイラはブログで世の中のために、役に立つ事をする!

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