不思議な話 日露戦争、兵隊さんのお墓①
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オイラの故郷は長野県だ。
オイラたち一族のお墓はお寺にはない。本家の畑の一角に石垣で囲われた墓所があった。
田舎に代々住み着いているような地域では、良くある事だと民俗学でも習った記憶がある。
そんなオイラん家の墓所には一基だけ弩デカイ墓が立っていた。
これが、日露戦争の時、旅順でなくなったご先祖さんの墓だ。
オイラたちは兵隊さんの墓と呼んでいた。
戦争でなくなった方の墓というのは石塔の天辺が緩やかな四角錘になっている。
この墓の場合、石塔だけで約2メートルはあり、基部を入れると多分3メートル近い高さだったように思う。さらにこの墓には、石の階段つき、2メートルの立方体ぐらいの土台がつけられていたので、ほんとうにバカデカイ墓だった。ガキのオイラたちにしてみたら見上げるようなでかい墓であり、石段を利用した良い遊び場になっていた。
しかし、なにぶん古い墓である。
オイラの親や親戚達にしてみたら高い石塔がいつ倒れてもおかしくないと感じていたようで、そこで遊ぶと怒られたもんだ。まあ、理由は兵隊さんのお墓で遊ぶのは失礼だという理由だったように思うが・・・。
実際、その石塔は少しだけ傾きだしていた。
見た目も苔生して、石塔に刻まれた文字も、お名前と旅順でなくなった事と勲4等ぐらいがかろうじて読み取れるだけだった。
このお墓に関しては『兵隊さんのお墓』と呼ぶだけで、親戚一同、それ以上詳しい話は伝わっていない状態だった。
それには理由があった。
田舎の場合、一族といっても分家となっている家がとても多い。
この兵隊さんの家も分家の一つであったのだが、明治の終わりに東京へ一家で出て行ってしまっていた。そして、その後の大正12年。関東大震災を期にぷっつりと連絡が途絶えてしまった。というような話だけが残されていた。
なんか嫌な事でも本家のご先祖さんがしたのではないか?とオイラは勝手に想像していた。
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つづきます。
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