オイラが肉球で太鼓盤9 ボブ マーリー 最期のライブ
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国境を越える音楽は確かにある。
5年ほど前、オイラたちはレゲエバンドをやっていた。
ボブ・マーリー&ウェイラーズのコピーがほとんどだった。
ジャマイカン・イングリッシュの独特なニュアンスを出したかったから、英語のニュアンスがわかるボーカルも探していた。
結局、ジャマイカ人とルームシェア経験を持つ男、カナダへ留学していた女性二人、ジュリアナで働いていたタイ人の4名をボーカル&コーラスとして見つけ出すことが出来た。
見事なくらいバラバラの組み合わせだ。
親睦を深めるには飲むに限る。
当時、京都にはTEDYSっていうレゲエが流れる店があった。
毎週末、練習スタジオを出るとTEDYSへ直行し、飲んだくれたもんだ。
好き放題に、バラバラに。
まぁオイラは下戸だから犬っころらしく、もっぱらミルクばっかり飲んでたが・・・・・
ボブの歌は意味を理解しないと歌えない。
飲んだくれながらも、議論は必ずそこへ行き着いた。
なぜならば、ボブの歌、ウェイラーズのレゲエは闘いの歌だからだ。
めざしてるのは平和であり、そして、本当の自由獲得のための闘いだ。
踊れるだけがレゲエやない!楽しいばかりがレゲエやない
ある日、オイラはこのアルバムをマスターに頼み、大音響で店に流してもらった。
このアルバムが収録された日、1980年9月23日時点でボブは脳腫瘍に侵されていた。
ラスタファリズムという宗教においては、肌に刃物をあてることを良しとしない。
彼らがアノ特徴的なドレッドロックヘアにしているのも、そのせいだ。
今は、ファッションであるが・・・・
このときボブは36歳。
脳腫瘍を手術すれば克服も出来ただろう。
しかし、彼は自然のままに、その運命を受け入れていた。
彼は歌う
『自然の神秘が世界を包む。人が何故苦しみ、何故死んでゆくのかを僕に訊かないでくれ』
ライブ直前まで意識を失っていた彼が、痛みに耐えながらリハーサルに打ち込む姿をみて、ステージサイドにいた関係者は皆、泣いていたという。
これは、残された彼の婦人リタが語っている。
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国籍も、経歴も、英語の理解力も関係なかった。
あの日、TEDYSでONE DAY OF BOB MARLEYを聴かなかったら
あのバラバラのメンバーが結束する事はなかったように思う。
ジュリアナで日本人をこまし放題こましてきた、鬼畜に等しいあのタイ人でさえ、あの日を境に練習に打ち込むようになった。
あの日、国境を越える音楽が確かにあった。
※ このアルバム、アマゾンで見ると廃盤みたいです・・・
なぜ・・
もったいない
聴きたい人はメール下さい
方法考えますわ・・・・
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コメント
いろいろなガンダムのストーリーを混ぜて劇みたいなのを作ってます。(まだ、ガンダムとZガンダムだけだけど)見てください。
ブランダル議長「私もCHECKしているぞ」
シン「何で議長までCHECKしているんだー!」
((( ^^)爻(^^ ))) ヨロシク♪
投稿: レッちゃん | 2005年6月25日 (土) 07時18分